【ドラゴンボールGT】最終回の意味とは?(考察)

「魔人ブウ」との戦いが終結した数十年後の世界を描いたのが、テレビアニメオリジナルの「ドラゴンボールGT」。

ただファンの間では「ドラゴンボールGTの最終回が分かりにくい」と言われています。

そこで、最終回を振り返りつつ、意味を考察してみましょう。

ドラゴンボールGTは3つの編で構成される

ドラゴンボールGTは、幼少期の姿にさせられた悟空を元に戻し地球の崩壊を防ぐ「闇のドラゴンボール回収編」

地獄にいる悪者が現世に襲来する「地獄動乱編」

そして何度も使用されたドラゴンボールの中に溜まっていた邪念が悪の戦士として具現化した「悪の七星龍編」で構成されています。

【最終回】悟空は生きてる?それとも死んだ?

※元気玉を撃つ時の悟空が無敵状態

※悟空が神龍とともに行ってしまう

※神龍にドラゴンボールとともに吸収されてしまう

なぜ「ドラゴンボールGTの最終回が分かりにくい」と言われるのか、その理由としては最後の戦いとなった「悪の七星龍編」が関係しています。

最強の敵「一星龍」のとどめの一撃を受け奈落の底に落ちた悟空は、意識が朦朧としつつも勝利の執念は失っておらず、地球とこれまで出会ってきた他の星々の人間の元気を分けてもらい「超特大元気玉」で一星龍を倒します。

理性を取り戻した神龍によって殺された人々と建物は元に戻りましたが、悟空はなぜか神龍の上に乗って旅立ってしまいます。

「ドラゴンボールGTの最終回が分かりにくい」と言われるのは、この時の悟空は生きてるのか?それとも死んだのか?はっきりしないことが要因です。

※生死の次元ではなく、ドラゴンボールとともにいなくなったと考えるべき。元々神の使い的な存在なので、神々の世界へ旅立ったと解釈できる

自力で歩む人間社会の始まりを示唆したかった?

ドラゴンボールはどんな願いでもかなえてくれますが、ただ本来死んだ人間が生き返るというのは自然の摂理に反しています。

自然に背くような行為を続ければ、何かしらのデメリットが生じるのは当然のこと。

その自然の摂理に反した結果が、「悪の七星龍」を生み出してしまったのです。

そもそも「悪の七星龍」が生まれたのは、ドラゴンボールの使いすぎによる負のパワーの蓄積。

「人造人間編」が終結した後に悟空自身が語っていましたが、自分の存在が悪を引き付ける可能性を示唆していたのです。

実際に悟空が戦ってきた存在の多くは、フリーザを含めた外宇宙からの侵略者が主です。

このように悪意のある敵を呼び寄せているだけでなく、「神を超えた存在」になったことで自身が世界に居続ければ「一星龍」を超えた存在が来る可能性があります。

悪意ある人間が利用すれば未曽有の害になるだけでなく、ボールの存在が広まれば人間の可能性を奪ってしまいます。

悟空自身とドラゴンボールの存在の危うさを考慮し、今後関わらないことで人が本来持つ可能性を大事にしてほしいと考えたから一緒に消えたと考察できるのです。

※ドラゴンボールが存在しない世に悟空が存在してしまうといろいろと都合が悪い(悪を呼び寄せるし、またドラゴンボールに頼らなければいけなくなる)だから悟空も神龍も同時にいなくなる必要がある。

またそうすることで、ドラゴンボールや悟空に頼らない新しい人間社会の始まりを表現したかったのでは?

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